サムコ株式会社　代表取締役社長
辻　理さん

　数年前、台北で開催された京都経済同友会の台湾ミッションの夕食会で、台北在住の蔡焜燦氏から次のようなことを聞かれた。「八田與一氏を知っていますか？」当時、残念ながら八田與一氏の名前を知らなかった。蔡氏からは「是非、時間があれば台南を訪問し、烏山頭ダムを見られてはいかがでしょうか。」という話があった。そして、今年5月の連休に同地を訪れる機会があり、そこでの話になる。

　八田與一氏は、昭和初期に活躍した当時の台湾総督府の水利土木技術者である。1910年、東京帝国大学工学部土木科を卒業後、台湾総督府の技手として赴任した。台湾南部に位置する嘉南平野は、当時、広大な面積を有していたものの、灌漑設備が未整備であったことから、雨季の大雨により、この地域が水浸しになり作物が育たないという治水問題を抱えていた。その問題解決のため、当時東アジア最大級のダム建設計画を立案し、現場指揮にあたったのが八田與一氏である。約10年の長い年月をかけ完成した烏山頭ダムにより、豪雨による水害のなくなった嘉南平野は台湾で一番の農作地帯へ変貌した。また、この烏山頭ダムは素晴らしい技術構想の元で建設されている。当時高価であったコンクリートをほとんど用いず、砂利と粘土を巧みに組み合わせた手法を用いることで、ダム内に土砂が溜まりにくい構造になっており、建設後80年を越えた現在でもその機能を十分に果たしている。総工費は当時の日本円で5,400万円（現在の日本円で5兆円と推測）という多額の費用、1日1,000人を超える作業者が従事した。いかに大規模な建設計画であったかが伺える。「台湾の人々に安全な生活と豊かな農地を提供したい。」という願望と、一大計画を完遂した本人の強い信念、卓越したリーダーシップ、魅力的な人柄は今も現地の人々のみならず台湾中の人々から敬われている。

　東日本大震災の際、台湾から200億円余りの巨額の寄付金が寄せられた。実は、この理由は八田與一氏を始めとする多くの日本人が当時の台湾の発展に大きく寄与したことが関係しているようである。現地の人々から、「八田與一が成しえたことは、決してお金に変えられるものではないが、東日本大震災に際し少しでも貢献できれば。」という声が多数あることは事実である。

　後日談ではあるが、八田與一氏の功績を称え作られた銅像は、戦時中には日本政府の金属の供出や、戦後大陸からきた国民党政府から像を守るため、住民により20年近く別の場所に保管され、1981年に住民によって銅像が戻された。八田與一氏がいかに台湾の人々にとって偉大な人物であったかが読み取れるエピソードである。銅像は現在もかつての工事現場を今も見守るような姿で烏山頭ダムを見下ろす岡の上にある。八田與一氏の命日である5月8日には、今年も住民のみならず台湾政府の要人を始め多くの人々が集い、八田與一氏の偉業を偲ぶ催しが営まれた。

＊写真は当時の烏山頭ダムの工事写真

（つじ・おさむ＝本会理事、2013年６月）