第23回 近代京都の都市基盤を築いた「三大事業」(その3)
今回は、京都市の「三大事業」のうちの道路拡築および市電敷設事業の概要です。
近代都市京都の基盤整備、道路拡幅が進み 市電も運行
道路拡築事業について、その意義を1906(明39)年12月の市会で当時の西郷菊次郎市長が次のように述べています(本稿筆者意訳)。
「この京都を工業都市として発展させるには、道路の拡築が喫緊の課題である。さらに、道路拡築は交通機関を発達させるだけでなく、教育や衛生面への波及効果も期待できる。100年後の京都市を考えるなら、ぜひとも本案(道路拡築並電気軌道建設事業案)を司会で可決してもらいたい。本案は建設後の電気鉄道営業収入を見込み、それを財源に先取りし、計画しているが、この先、建設費返済だけでなく本市の貴重な収入源となるであろう」
これを受けて市会は、どの路線(通り)でどれぐらいの道幅にするかもめたが、1907(明40)年3月、七条線・四条線・丸太町線・今出川線・東山線・烏丸線・千本大宮線の7路線(通り)を対象とすることでまとまりました。また、道路拡築に併せて建設する電気軌道(路面電車)の運行に関し、当初は京都電気鉄道会社(京電、1895(明28)年営業開始)に任せる(ただし、道路拡築工事費用の半額負担や補償金の市への納入が条件)方針でしたが、政府から民営不許可指令が発せられたため、一転、市営事業にすることとなりました。
こうした調整を経て市会は’07(明40)年3月、「道路拡築並電気軌道建設費」を可決し、3事業とも着工に向かうことになったのです。第二疏水、上水道建設、道路拡築および電気軌道建設の総予算は1726万円、当時の市税収入の2倍という大規模なものでした。
‘08(明41)年10月15日 平安神宮で三大事業起工式が挙行され、まず第二疏水は起工されました。しかし、道路拡築の方は資金調達(フランス債発行による借り入れ)に手間取り、事業施行認可が’09(明42)年6月、本格的な工事は’10(明43)年8月からにずれ込まざるを得ませんでした。それでも7路線で順次、拡築が進み、’11(明44)年から軌道敷設工事も行われます。そして翌’12(明45)年6月11日に市電第一陣の、烏丸線(烏丸丸太町-七条駅前)、四条線(四条西洞院-四条小橋)、千本大宮線(千本丸太町-壬生車庫前)、および丸太町線の一部(丸太町千本-丸太町烏丸)で運行が開始されます。11~12月には今出川線の一部(今出川千本-今出川烏丸)と東山線の一部(東山三条-馬町)など、そして’13(大2)年8月までに七条線(七条内浜-七条烏丸)および各線の残り区間の開通にこぎつけます。かくして三大事業は完工(竣工祝典はすでに’12(明45)年6月15日挙行)し、近代都市京都の基盤ができあがったのでした。
京電を買収合併、営業順調で借金繰り上げ返済
市電が営業を始めると、市内では市電と民間の京電との客取り合戦が激しくなります。四条堀川-四条西洞院、烏丸丸太町-烏丸下立売など一部区間で市電と京電が同じ軌道を走り(ただし、京電は狭軌、市電は標準幅だったので、片方のレールを共用し、他方は車輪の幅に合わせてそれぞれ敷設する3本レール方式で運行した)、また市電河原町線では通り一本隔てた木屋町通りを京電が運行していたので、競合があらわになりました。さらに、京電の運行路線は旧道路幅で狭く、かつ曲がりくねった個所も少なくなかったので、増大した交通を妨げるようになっていました。そこで京都市は京電との競合区間を路線統合、ないし京電路線廃止を行うべく’18(大7)年7月、京電を買収合併します。
ところで、外債返済資金として期待された市電の営業成績は当初、芳しくありませんでした。乗客が予想を下回った(営業開始の’12(明45)年の年間利用者は 11398万人と記録されている)ことに加え、過大な設備投資と経営の未熟さが足を引っ張ったと言われています。それでも営業開始以来、乗客数をじりじり伸ばし年間 2000万人台を維持。京電買収後、一挙に同5000万人に乗せています。こうした推移により、償還期間の30年を繰り上げて返済しています。
2014/09(マ)
*「京都再発見/京都・近代化の軌跡」は都合により今回で終了します。
【関連年表】
(第21回に掲載の年表をご参照ください)
【参考資料】
▽京都市編『京都の歴史』第8巻・第10巻(學藝書林)
▽京都商工会議所百年史編纂委員会編『京都経済の百年』(京都商工会議所)
京都駅前の烏丸通りを行く市電(写真は昭和40年代撮影とみられる=インターネットから)
廃止された車両は学校や地域に引き取られ、さまざまに利用されている(写真は伏見区内の地域「集会所」
平安神宮神苑で往時の塗装のまま保存されている狭軌1型2号車は、堀川線(北野線)を走っていた
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